希望の風 ロータリー希望の風奨学金10年のあゆみ
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1 あるロータリークラブの社会奉仕委員長の方から「私の所属する地区は、ロータリー希望の風奨学金の支援地区となっているが、近年支援金を集めた記憶がない。クラブ社会奉仕委員長としてクラブでの支援を考えているが、入会7年目の私は『ロータリー希望の風奨学金』についての知識がないので、情報がほしい」との電話がかかってきました。「7年以上前の震災に対し、今でも支援を続けられていることに驚いた」との感想を頂戴しました。また、別のロータリアンからは「支援地区ではないが、支援したい」との思いで、支援金を送ってもよいのかとのお問い合わせもいただきました。 それから数年が過ぎ、震災から10年を迎えました。10地区の合同プログラムとして始まり、その後12地区、15地区と広がりましたが、それ以外の地区・クラブそしてロータリアンの方々の中にも「目に見える支援なので今後も継続したい」と毎年寄付金を送ってくださる方がいらっしゃいます。現在、協議会としては、支援地区・非支援地区の枠を外し、オール日本として多くの方々にご支援をお願いすることにいたしております。 東日本大震災が起きた2011年3月11日、私は職場(秋田県潟上市)におりましたが、大きく長く続く揺れに驚かされました。当時、私は国際ロータリー第2540地区(秋田県)のガバナーでした。幸せにも私の所属する第2540地区では大きな被害ありませんでしたが、この後(4月6日)、地区内の大曲ロータリークラブ(RC)の支援活動に同行して被災地を訪れ、目の当たりにした現地の惨状は、想像を絶するものがありました。 その後の10年間が、短いのか、長いのかは、その人の置かれた環境によって変わるのでしょうが、東日本大震災の被災地や被災者への支援はさまざまな形で、実行されてきました。既に終了しているものもあれば、継続しているものもあるでしょう。 当時(2010-11年度)のガバナー会(日本国内のロータリー地区ガバナーの連絡機関)では、ロータリーが日本に入って間もない1923年の関東大震災の折の話や、長岡藩の「米百俵」の話などを参考にしながら、支援の方法を協議いたしました。 関東大震災の折、国際ロータリーをはじめ米国、英国等、世界のロータリアンから合計で8万9,000ドルの支援金が東京RCに届けられました。それをどう役立てるか、クラブ内で検討され、孤児院の建設、消失した小学校に対する黒板・日本地図・世界地図・大型算盤の寄贈、殉教警察官遺族への寄贈が実行されました。 また、北越戊辰戦争に敗れ、焦土と化した長岡のまちに、支藩である三根山藩(新潟県西蒲原郡巻町峰岡)から見舞いとして送られた米百俵を長岡藩大参事の小林虎三郎は反対する藩士らを説得し、藩士らに分配せず、この米を売り、その代金を国漢学校設立資金の一部に充て、さらに国漢学校の書籍や用具の購入に充てたと言われています。 ロータリーらしい支援の方法は何かを検討した結果、被災遺児への奨学金とすることとし、被災地域が多地区にわたることからオール日本として取り組むこととなりました。その中で生まれた「ロータリー希望の風奨学金」はロータリー東日本大震災青少年支援連絡協議会が運営する被災遺児・孤児(以下、遺児)に対する教育支援プログラムです。しかし、地区ごとにさまざまな考えがあり、残念ながらオール日本としての取り組みはかないませんでした。 本誌は震災後の現地視察やガバナー会を振り返り、「ロータリー希望の風奨学金」が生まれた経緯(『ガバナー月信』に掲載していたもの)や第2790地区(千葉県)の2010-11年度ガバナーであった織田吉郎氏が協議会の副委員長として報告されたものを紹介しながら、現在までどのように運営されてきたかを『ロータリーの友』に掲載された文章を中心にまとめてみました。今後起こり得るさまざまな災害に対する支援活動の一助になるものとの思いで、振り返ってみたいと思います。『希望の風 ロータリー希望の風奨学金10年のあゆみ』発刊にあたり国際ロータリー第2540地区(秋田県) 2010-11年度ガバナー(潟上ロータリークラブ)ロータリー東日本大震災青少年支援連絡協議会 会長地葉 新司被災者とともに—私たちロータリアンは東日本大震災のことを決して忘れません

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