18によって生まれていることに気づかされます。当初、賛同地区のロータリアンからの支援を地区やクラブが取りまとめて送金されていましたが、3年が過ぎた辺りからはロータリアン以外の個人や企業あるいは団体からの支援が増えてきました。 クラブの創立記念や地区大会記念、東日本大震災支援をテーマとしたインターシティーミーティング(IM)での募金活動などが多く見られるようになりました。チャリティーゴルフ大会、チャリティーバザー、チャリティーコンサートの開催、各種行事での募金活動など、ロータリアンだけでなく多くの市民の方々が参加した行事からの支援も増えてきました。 さらに、インターアクトクラブ、ローターアクトクラブやボーイスカウトの募金活動あるいはチャリティー活動として支援をいただくようになりました。加えて、新たに「ロータリー希望の風奨学金」を知った賛同地区以外のクラブやロータリアンからの支援もいただけるようになってきました。 ロータリアン以外でも「ロータリー希望の風奨学金」について取り上げた新聞の記事を見た方から支援の申し出がありました。「何に使われているのかがはっきりしているのがよいです。この奨学金がある間は毎年寄付を続けます」と言っていただきました。遺児たちの背中をそっと押す存在に 支援を推進する人たちからは、「現場の声、奨学生の声をもっと聴きたい」「勉学に打ち込めるようになったなど、支援活動に拍車のかかるような情報を提供してほしい」という意見が出ていました。しかし、「遺児になってしまった」という現実は暗い闇として子どもたちや奨学生たちに重くのしかかっていて、そのダメージは大きいもののようで、癒えることはありません。 こうした遺児やその家族たちに心を寄り添わせ「ロータリー希望の風奨学金」がそっと彼らの背中を押す存在であり続けたいと願って、少し時間を置き、時が経つにしたがって闇から解放されていく奨学生たちから、少しずつ「生の声」を集める努力を重ねていくことにしました。 奨学金の発足から3年が過ぎたころには、兄姉がロータリー希望の風奨学生という申請者が増えてきました。学校からの推薦を見ると、遺児たちにとってまだまだ被災後の生活が困難であることを、うかがい知ることができました。 奨学金の給付を受けていても生活が苦しく、進級を諦める学生もいます。3年たっても公共交通機関が復旧せず利用できないため、バスを乗り継いで何時間もかけて学校に通いながら休日は朝から夜遅くまでアルバイトをして家計を助ける、という被災した地元に暮らしながら勉学を続けている多くの奨学生の姿には、遺児となってしまった現実に加えて、復興の進まない被災地の困難な生活が色濃く反映されていました。 奨学生のアンケート回答からは、彼らの生活や心の変化を垣間見ることができます。震災の記憶やその後の経験が寄せられるようになりました。少しずつですが、ロータリアンとの交流を望む奨学生も増えてきました(各年のMessageページをご覧ください)。 10年が経過して、被災地の状況は変わってきています。初期に支援した奨学生たちは大学や専門学校を卒業して就職し、家計を支えたり、ふるさとの復興のために働いたりと、その成長ぶりを見せてくれるようになりました。 しかし、ロータリー希望の風奨学金プログラムはまだ道半ば、これからも被災遺児たちのために支援を続け、ゴールテープを切ることができるよう、多くの皆さまの協力を必要としています。
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