希望の風 ロータリー希望の風奨学金10年のあゆみ
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9だ気持ちの整理がついていません。もう少し時間をください」という声が大半を占めました。奨学生から生の声を聴けるのはもう少し先のことになります。 NHKの番組では、遺児たちの中には被災経験を口に出せない子どもや、引っ越しを余儀なくされて転校した学校では、親を失ったことを負い目に感じて打ち明けられない子どももいると報告していました。 こうした、いまだ暗い闇を抱えている遺児やその家庭に心を寄り添わせながら「ロータリー希望の風奨学金」はいつでもそっと遺児たちの背中を押す風であり続けたいというのが私たちの願いです。 私はプログラムの窓口を担当している関係で、遺児や保護者と電話で話をする機会に恵まれていますが、その90%は保護者からのものです。「子どもを進学させること」は親の務めだと考えているからでしょう、奨学金の給付決定を心から感謝し、喜ぶ声はまず親から伝わってきます。 被災地域の地方紙や自治体の広報紙で「ロータリー希望の風奨学金」の存在を知った現在小学生や中学生を育てている保護者から「うちの子どもたちが進学する時にも奨学金をいただけるのでしょうか」という問い合わせが結構あります。「はい大丈夫です。ロータリー会員の皆さんは今でも支援金を寄せてくれていますので、どうぞ安心してお子さんに進学を勧めてあげてください」と話しますと「ありがとうございます。助かります。これで子どもたちに大学に進学しても大丈夫だから、しっかり勉強しなさいと言えます」とホッと肩の荷を下ろしたように喜びを語ってくれます。こんな時、このプログラムは遺児だけでなく、その保護者をも支えているのだと実感します。 現在122人の奨学生が日本の各地で学んでいますが、驚くことにその約半数が医療関係の大学や専門学校に進んでいます。彼らは口をそろえて「将来は地元に帰って地域の復興を医療面から支えたい」と言います。 すさまじい被災状況を目の当たりにして、二度と再びこの惨状を繰り返さないよう、そのために役に立ちたいという明確な問題意識を持って進学していることがうかがえます。 こうした熱い思いを秘めた若者が学び、卒業してふるさとに帰り社会の一員となっていくとき、被災地東北の復興は一層確かなものになっていくに違いありません。 このプログラムは遺児本人だけでなく、その保護者を支えていることは前述しましたが、もう一つ言えば、毎年地元のメディアを通じて被災者たちに届く「ロータリー希望の風奨学金」プログラムの情報は「ロータリアンは東日本大震災を決して忘れません。すべての遺児が進学の希望をかなえることを目標に粘り強くプログラムを推進します」というメッセージとなって多くの被災地の方々に勇気を与えているという一面があることも確かです。  事務局にかかってくる電話の中に「私たちを忘れないでいてくれることが本当にうれしい」という方がいらっしゃいます。先日は遺児をもたない家庭のお父さんからも「感動した」という電話をいただきました。新聞を見た一般の方から支援金が寄せられることもあります。 私は事務局を担当していることで日々充実感を味わっています。「ロータリー希望の風奨学金」が、確かに震災の復興を支えているという実感を与えてくれるからです。そして、ご支援くださるロータリアンの素晴らしい奉仕の精神に接し癒されています。 周年記念事業として「ロータリー希望の風奨学金」を取り上げてくださるなど、静かではありますが、支援の輪は着実に広がりを見せております。温かなロータリアンに支えられて私たちは着実にプログラムを推進してまいります。『ロータリーの友』2013年8月号から抜粋 織田吉郎氏は、東日本大震災発生時の国際ロータリー第2790地区(千葉県)ガバナー。震災後、集まった義援金・支援金の使い方を検討する東日本大震災支援委員会(使途検討委員会)が組織され、委員長に就任しました。その後発足したロータリー東日本大震災青少年支援連絡協議会では副委員長に就任し、加えて銚子事務局として、奨学生の情報管理、支援者との連絡窓口、新聞社への対応、被災地各県の高校や奨学生が進学している大学・専門学校との連絡、報告書の作成などを担っていました。 織田氏は「ロータリー希望の風奨学金」に関して熱い志をもって活動されていましたが、2014年6月、病のため逝去されました。注1) 2021年現在ではより多くの奨学金制度があります。

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